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ダカワの若者とHIV
世界的にみれば、サブサハラアフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)は依然としてHIV/AIDSの中心地である。この地域には世界人口の1/10が住むが、世界のHIV感染者数のほぼ3/4を占めるとされている。

エイズは、後天性免疫不全症候群と訳され、早い話、体の免疫力や抵抗力が弱ってしまうため、エイズウイルスに感染した人が他の病気、例えば肺炎やマラリアにかかってしまうと、そのまま体力が落ちて、やせ細って亡くなる、というケースが多いようだ。村人の間では、「最近誰々がマラリアを繰り返している、どうもエイズじゃないか」なんて言う噂が流れたりする。また、ついこの前まで元気だった人が、肺炎なんかで急死する事がよくある。それはHIVに感染している体に肺炎の菌が入ってきたりすると負けてしまうためだ。

実際に村ではエイズ検査が出来る設備がないため、一体どれほどの確立でHIVの感染者がいるのかは不明だ。
去年、村のMtendaji(村長の補佐役)が亡くなった。亡くなる1ヶ月程前までは、よく会い、挨拶もして、元気そうだった。ある日、「Mtendajiはひどいマラリアにかかって、町の病院に入院しているらしい」という話を聞いた、そしてすぐ亡くなってしまった。その数ヶ月後に彼の奥さんも同じ様にして亡くなった。彼はHIVポジティブだったそうだ。

HIV検査など出来ない、分からない村人達は、人が突然亡くなったりすると、それは全て
「ムチャウイのしわざだ」と片付けてしまう。ムチャウイ、とは、伝統的なまじないや魔術の事を指す。彼らは、誰かがその人を呪ったために急死したのだ、と考えるのだ。
若い子達と話していた時だ。避妊にピル等のホルモン剤を使っているなら、エイズの予防はどうしているのかと尋ねると、
「何もしていない」と言う。
「エイズにかかるのは怖くないの?死んじゃうんだよ?」と言うと、
皆笑って、「エイズなんて、この村にはないの。若くして死んでしまうのは、皆、ムチャウイのしわざ」、と言う。だから、コンドームなんて使う必要ないんだよ、と言う事だ。
「それでは、ホルモン剤を使った避妊と、コンドームを使ったHIV予防。あなた達にとってはどっちが重要?」という質問には
「それは、避妊の方が大切。」と口を揃えて言う。
「でも、HIVに感染すれば、数年後には必ず死んでしまうよ」と言うと、
「ダカワにHIVなんてあるわけないよ。ハハハハ。」
と笑う。
今、世界的にエイズの蔓延防止が叫ばれており、そして、その為に沢山の取り組みがなされている。最近はアフリカの村レベルでも、いたるところに“エイズ防止のためにコンドームを使いましょう”という広告を見かけるし、ラジオや新聞でもしょっちゅうエイズ関連の話題が上る。しかし、実際はその当事者達が、全く現状を知らないのだ。若い子達も、スワヒリ語でUkimwi、エイズという言葉を知っているし、大変な病気だということも知っている。しかし、HIVがどのように感染し、広がっているのかを理解していないようだ。エイズにかかって若くして亡くなったって、それは“ムチャウイ”のせいなのだ。誰しもが、「私は大丈夫」、と他人事のように捉えている。

アフリカの中でも特に、南部アフリカはエイズの感染率が高い、と言われる。マラウイもそんな国のひとつで、エイズの感染率は14.4%、つまり、人口が1100万人のうち90万人が感染しており、年間に89万人がHIV/AIDSにより死亡している。マラウイではコンドームが1つ10kw(≒10円)で売られていた。その価格は、日本人の感覚からすれば“安い”が、その日の食べ物にも事欠く人達が、どうして10円もの金をコンドームに費やす事ができよう。10円あればトマトが2つ買える、揚げドーナツが2つ買えるのだ。お腹を空かせている子供達に揚げドーナツを買ってやる方が彼らの生活では優先だ。村の診療所には、どこかの団体から寄付されたコンドームの無料配布もされていたが、在庫がなくなってしまえば、元の木阿弥だ。
また、HIVについて、村人達の間では、まだまだ誤解や迷信が溢れている。マラウイの若者は、
「HIVは、アメリカがアフリカ人を滅亡させる為に作った生物兵器だ。あいつらはオレ達黒人の居ない世界を作ろうと、エイズウイルスをアフリカ大陸にばら撒いたんだ」と言っていた。

スタッフのPauloに聞いた。
「ダカワにはHIVに感染している人はいるんでしょ?」
「Wengi sana(沢山いるよ)。だけど、ほとんどはAIDSに感染しながら、マラリア等で死んでしまうから、皆マラリアで亡くなったと思ってる。でも、実際にはエイズに感染していた場合が多い。ただ、皆知らないだけだ。」と言う。
「タンザニアでは、一説には20%の感染率、つまり5人に1人はHIVポジティブだとも言われているけど、皆どう考えているのかな」、と聞くと、
「まず、村人達は何も知らない。エイズがどういう病気で、どのように感染するのか。どうやって予防するのか。5人に1人がHIVポジティブなんて事も知らない。だって情報がないから。国連や保健機関がそういうデータを出していようと、ここには全く入ってこない。だから仕方がない。皆何も知らないんだよ」と言った。

結局、HIVの感染防止には正しい情報を伝え、村人を教育する事でそれぞれに“自覚”を植えつけることが大切だ。アフリカ諸国は、HIV/エイズの急速な拡大を阻止するために、1980年台中ごろよりWHOなどの国際機関の莫大な援助を受けて国家エイズプログラム(National AIDS control Programs:NACPs)を作成し、様々な対策に取り組み始めた。しかし、村レベルではほとんどその効果を実感する事はない。それは、行政機関のインフラが不十分であり、熟練のヘルスワーカーの不足などが原因として挙げられる。また、国家レベルで資金、専門家不足のため、他の機関からの援助や協力に頼らなくては、国家エイズ抑制プログラムの実施が困難である事も問題だ。
最近、協力隊にも“エイズ対策”という職種ができた。村レベルに入ってエイズの啓蒙活動を行ったりしてるようだ。やはり、そうやって村に入り、村人一人ひとりの自覚を植えつけること、エイズの正しい知識、適正な予防法を村人に伝達する。それが長い道のりでも、結局はエイズの蔓延を防ぐ処方箋になるのではないだろうか。
* 写真はケニアの村で撮ったもの。エイズ予防のために生活習慣を改善しましょう、という事が絵で分かりやすく商店の壁に描かれていた。
* 参考文献・・・早瀬保子氏「アフリカの人口と開発」(アジア経済研究所)

# by fumika222 | 2006-08-15 20:44
村の女性達の避妊法
ある日、散歩のついでにいつものダカワ病院のドクターに会いに行った。
「ドクター、いますか?」と聞くと、
「Nakamuraか?Njoo(入っておいで)」と言われた。
診察室に入ると、若い女の子が二の腕から血をだらだら流しているではないか。
思わず、「うわ、痛そう・・」というと、女の子は笑った。
良く見ていると、ドクターは彼女の二の腕から3cm位の細長いプラスチックのような物を取り出している。息を飲んで見入っていると、皮下から何本もプラスチックが出てくる。
結局、ドクターはそれを6本取り出し、その傷口は包帯で巻かれた。
「Asante、ドクター(ありがとう)」と言って、彼女は何事もなかったように去って行った。

「ドクター、何ですかこれは?」と聞くと、
「このプラスチックを腕の皮下に埋め込むことで、妊娠を防ぐ事ができるのだよ。彼女は最近結婚して子供が欲しいからと言って、取り出しに来た。」と言った。
そんな物は初めて見たし、ダカワの女性達がその様に避妊をしていたなんて知らず、驚いた。
「結構、村の女性で使っている人は多いのですか?」と聞くと、
「そうだねー、若い女の子は多いよ。でも他に注射もある。注射だと3ヶ月に1度打たないといけないが、このプラスチックは1度埋め込んでしまえば数年そのままで大丈夫だからね」と言った。

これは、女性ホルモンで“Depo Provera”というものだそうだ。ドクターによると、タンザニアの女性達は避妊にとても気を遣っており、若い世代を中心に多くの女性が避妊をピルやホルモン注射に頼っているようです。避妊薬を使っている女性達に何故ホルモン剤を使用するのかを尋ねると、
「今はまだ、子供はいらないから」、
「子供はもう必要ないから」、「子供が沢山いると、養育費がかさむ」等の産児制限が大きな理由のようだ。

タンザニアの人口は3千4百万(2003)で、人口増加率は年率2.9%(2003)だ。毎年毎年人口が大幅に増加している。1990年のデータでは、人口は2千4百万だったのが、たったの13年で1千万人増加したという事になる。この増加率が維持されると10数年後には人口が5千万人を超えると予想されている。

人口爆発はアフリカの深刻な問題のひとつだ。アフリカにおける人口政策は、アフリカ各国が独立を為した60年代にはほとんど問題視されていなかったものの、80年代に入ってから、アフリカ諸国の人口政策および家族計画運動が1984年にタンザニアのアルーシャで開催された会議で転機をむかえた。この会議では人口増加が経済社会開発の阻害要因をして作用していることを認め、各国が出生率や人口増加率を低下させること、その為の家族計画サービスを普及させるべきである“キリマンジャロ行動計画”が採択された。
その後1994年国際人口開発会議の準備会議として召集された92年のセネガルのNgor会議では、サハラ以南アフリカの目標として、2010年までに人口の自然増加率を3%から2%へ低下させ、避妊実行率を10%から40%に上げることを決めた。

天然資源の減少、気候の変動による食糧不足、過放牧による砂漠化等が進んでいるタンザニアでは、高い人口増加率はタンザニア政府の頭の痛い問題のひとつになっている。そのため、こういった避妊薬は母子保健サービスの一環として、公立の医療施設では無料で配布されており、また、ピル等は、村の薬局でもとても安く入手することができる。これらのサービスが効を奏してか、子供の出生率は以前よりも減っているようだ。

限られる資源を消費しながら生きていかなくてはならない我々人間は、自然資源の限界が見えてきている今、それに合わせた生活へとシフトチェンジしなくてはならない。ダカワ村ひとつ例に取ったってそうだ。毎朝の井戸の長い行列、過伐採された森と、調理のために遠くまで薪を拾いに行く村人達。農作物の収穫前になれば市場から食糧は消え、貧しい村人はお腹を空かせて、いつ来るか分からない政府からの配給を待つ。この状態は既に人間の生きる限界という気がするのだが、それでもアフリカの人口はどんどん増加している。アフリカでは、人口の大半がカトリックまたはイスラム信者であり、家族計画や避妊手段の利用により人口増加率を低下させることは文化的にも難しいという背景もある。

ホルモン剤による避妊法の普及は、確かに出生数の減少に貢献しているようだ。しかし、気をつけなくても妊娠する事がなければ、不特定多数の異性と関係を持ち、HIV/AIDSや様々な性病の蔓延にも拍車をかけることになる。そうした心配のない避妊法として、コンドームを使用しないのか、と村の女性達に尋ねると、
「コンドーム?あれはすぐに破れるから、危なくて使えないよ」
「コンドームを使うとかゆくなるから体にわるい」
という答えが返ってきた。
確かに、政府から無料配布されているものや、商店で売られているものは、安い分やはり品質に問題があるのかもしれない。しかし、ホルモン剤等の過信は“避妊ができる”という事実だけが先走り、実際にそれを使用する村の女性達がそれに伴うリスクを理解しているとは言い難い。
やはり、根底に必要なことは教育なのだろうか。

# by fumika222 | 2006-08-12 20:36
歯ブラシの木
ダカワの村人は、歯は朝しか磨かない。
それでも、皆虫歯が一本もない、強くて丈夫な歯をしています。そもそも、村の食生活では虫歯の原因になるような甘いお菓子を食べたり、砂糖がたくさん入ったソーダを飲んだりする事がないからでしょう。

村の中には、歯ブラシになる木がある。村人に何と言う木かと尋ねたら、
「Mti ya mswaki (歯ブラシの木)」と、そのままの答えが返ってきた。
この木は、枝から出る樹液が細菌を殺し、歯石がたまるのを防ぐ役目をしています。アフリカでは何世紀にも渡って使われているようです。
まず枝を折ってきて、先端を奥歯でよく噛み、木の繊維をほぐします。何度もカミカミしているとほぐれてきます。朝から、硬い物を奥歯で噛んでいると、少しずつ頭が冴えてきて、目を覚ますのには丁度よい。そして、ブラシ状になったら歯と歯茎の間を磨いていきます。

朝早くから、村人達は“これ”というサイズの枝を見つけてきては、あちこちでカミカミ・ゴシゴシしているのです。
# by fumika222 | 2006-08-10 22:19
ケータイ電話
発展途上国では、近年、唯一の通話手段としての携帯電話が凄い勢いで普及している。アフリカも例に漏れず、この数年間で最も変わったことのひとつとして携帯電話の普及が挙げられるだろう。

世界では、固定電話の契約者数が10億人に達するのに100年かかった。しかし、携帯電話の契約者数が10億人に達したのにはわずか10年しかかからなかったそうだ。1995年から2001年までにアフリカにおける携帯電話のネットワーク数は33から100に増えたし、これからも増え続けるであろう。

タンザニアで使われている携帯電話のほとんどはプリペイド式だ。そこらの小さな店でカードが売っている。お財布の状況によって値段も様々、1000sh~20000shまである。ダカワのような田舎では、皆余りお金を持っていないため、1000shや2000shを少しずつ足す。購入したカードのシリアルナンバーを電話に入れると、その分が追加されるシステムだ。近頃、固定電話にもプリペイドを導入し出した、未払いがあまりにも多いからだ。

しかし、携帯のマナーは悪い。Beep(ワン切り)や、“Nipigie Tafadhali(電話シテ)”というメッセージが送られてくる事がほとんどだ。相手に用があるなら、そっちがかけるべきだと思うので、ほとんどかけ直さないのだが、そうすると会った時に、
「どうしてあの時、ワン切りしたのにかけ直してくれなかったの?」と、怒られてしまう。
「何か用事があった?」と聞くと、
「Salimia Tu(特にないけど、元気かなと思って)」と言う。
用件があるから電話、ではなく、用件がないけど電話、なのだ。
その上皆、呼び出し音は最大だ。また、今流行のミュージックをダウンロードするのも粋なようだ。
会議や大事な話は中断され、バスの中で寝ていればおこされる。
呼び出し音はMAX、ワン切りされたらかけ直す、それがこっちのマナーのようだ。

以前、セレンゲティ国立公園に行ったときの事だ。360度、見渡す限り誰もいないサバンナの大地の真ん中で、乗っていたサファリカーが止まってしまった。幸い、車は大きな問題ではなかったのだが、野生動物しか住んでいないナショナルパーク内でドライバーが携帯電話で他と連絡を取っていた。こんな世界の果てでも携帯のアンテナがあるのか、と、驚いた。

ダカワでも、携帯電話は普及しているし、若い子達に今一番欲しいものは何かと聞くと、必ず携帯電話と答える。
村人の家には電気がないため、電気のある店では、バッテリーチャージ1時間いくら、というビジネスが成り立っている。また、ダカワで一番携帯を持っているのはマサイさん達だ。彼らはウシを売ると沢山のお金が入る。また、移動を繰り返すため、家に金をかける必要はない。車も持たない。そのため、携帯電話などにお金をかけているようだ。彼らの家にも電気が通っていないので、バーなどでバッテリーチャージをしているマサイさん達をよく見る。

お金を持っているマサイ達なら携帯電話を持っていても問題がないようだが、農民レベルの人達が携帯を維持するのは大変なようだ。1本300shのソーダを1年に何度も飲む事ができないのに、携帯のバッテリーチャージは一度で300shが飛んでしまう。また、携帯には常にお金が入っていないと、携帯の会社に番号を取り消されてしまうため、いつもいくらか入れておかなくてはならない。
マラウイにいた頃は、まだあまり携帯電話は普及していなかった。村に2件のテレフォン・ビューローがあり、家族が病気だとか、誰が亡くなったとか、そういう緊急の用事の時にその電話にかかってくる。すると、ビューローの人がその伝言を受け取り、その人のところへ届ける。また、直接話しをしたい場合はその人を呼び出し、かけ直したりもできる。そこには皆の電話があったのだ。

先進国では、ほとんど100%に近い人間が携帯電話を持っていると言っても過言じゃないだろう。いつでもどこでも、好きな時に家族や離れた恋人とも話せる。そうしたい気持ちはアフリカの田舎の人達だって同じなのだ。しかし、彼らの生活レベルで携帯電話を維持する事は簡単ではなく、そこまでしてまで携帯電話は必要なのか?と思ってしまうのだ。もちろん、携帯を持つことは先進国の人間だけの権利ではないが、携帯を持つこと自体が途上国の村人レベルの人の生活を難しくしているともいえる。それでも携帯電話への憧れは高い。
結局必要なのは、先進国でも途上国でも、自分はどこまで必要だという個人の自覚なのだろうか。
# by fumika222 | 2006-08-04 22:11
焼きトウモロコシ
近頃、雨期の終わりとともに、主食のトウモロコシ(メイズ)の収穫が少しずつはじまりました。
“今年の雨は、メイズの雨”と言われるほど、遅れてきた雨は、メイズの育つ3月から5月にかけてよく降ってくれました。

ウガリの粉にするには、実が付いたまましばらく畑に放置し、枯れて実が乾燥してから収穫します。早めに収穫するものは、ウガリの粉用ではなく、そのまま茹でたり焼いたりして食べるものです。

村のあちこちで焼きトウモロコシ屋が開業します。収穫したばかりのトウモロコシを炭焼きにします。日本のスイートコーンほどの甘みはないけれど、ゆっくりかんで食べると、自然の素朴な味が口に広がります。
香ばしい焼トウモロコシの匂いが村中に広がる。それは、新鮮なトウモロコシが手に入るこの時期特有のもの。
皆、焼トウモロコシが大好きだ。子供も大人もおやつ代わりにボリボリ食べる。1本100sh(10円)。
1本食べると結構お腹が一杯になってしまいます。

笑顔でトウモロコシにかぶりつく人達に、トウモロコシの収穫の喜びと安心が感じられるような気がする。

# by fumika222 | 2006-08-01 21:26
イネの収穫法
作物、というものは、気候、風土、文化が異なれば、同じ作物でも栽培方法が違ってくる。
イネの栽培法でいえば、アフリカではバラ播き法(湿地帯に種もみをばら播く)が一般的だ。これはまだ、多くのアフリカ人が畑作的な考え方から抜け出せず、コメを栽培する為には水を溜める事が必要である、という感覚が薄いからであろう。そういう土地を、まずレベリングして平らにし、ヒモなどを使ってライン上に等間隔おきに数粒ずつまとめて播く事で、草抜きがしやすく、収穫も楽に、且つ、短時間で行えるようになる。そして、収量もあがるのだ。
こんなシンプルな技術を伝えるだけでも。アフリカのコメの収穫量はかなり増やす事ができる。

我々の農場でも収穫が始まった。この地域での一般的なコメの収穫法はこうだ。
まず、右手にニェンゴ、と呼ばれる鎌をもち、左手に束のイネをつかみ、地面から5cm程の部分を鎌で切る。こっちの鎌の形は日本のモノとは大きく違い、木製の柄から伸びる30~40cmもある細長い刃は、ひらがなの“つ”の形状に曲げられ、更に、刃の部分がギザギザになっていて、切れやすい。刈る時は、湾曲している部分に力が入るようにすると良く刈れる。切り取った稲は穂が零れ落ちないようにそうっと静かに足元に置いてゆく。同時に、イネを地面から少し離して刈る事もポイントだ。よく、アフリカのローカルでコメを買うと、必ず小石や砂が混ざっている。その為、コメを炊く前に一度、コメをザル等に広げ、それらの異物を取り除く作業が必要とされる。その原因は、イネを収穫する際に、地面すれすれを刈ってしまうと、根元の土が盛り上がった部分も一緒に刈り取られてしまい、脱穀する際に混入してしまうわけだ。収穫時に注意していれば、そんなに小石等が混ざってしまう事はないだろう。

そして、刈り取ったイネがたまったら、一箇所に集めて脱穀する。地面にシートか、ゴザを敷き、刈り取ったイネを両手に持ち、力いっぱい叩きつける。地面に叩きつけられた衝撃でコメ粒が穂から取り離されるのだ。これを稲穂が全て取り除かれるまで、何度もバンバンバンバンと繰り返す。

次に、脱穀された稲穂から、収穫時に混ざってしまったゴミやイネの葉などを取り除く。まず、“ウンゴ”、と呼ばれる大きく、平らなザルに稲穂を一杯に入れ、それを頭の上に乗せて少しずつこぼしてゆく。この作業は風の出てくる午後でなくてはダメだ。こぼれる間に風が稲穂とゴミを分別してくれる。ゴミは吹き飛ばされ、稲穂だけがしたにおちるしくみだ。そして、風選された稲穂を、更に選別する為に、再びウンゴに入れられる。ウンゴの右と左の端を両手でつかむ。そして、フライパンで目玉焼きを空中でひっくり返す要領で、稲穂をこぼれないように空中へ投げ出す。この時に、ウンゴ自体を前穂に少しゆする事でウンゴの上で稲穂とゴミが別れるのだ。この作業を“kupeta”、という。一見簡単そうに見えるが、実は微妙なテクニックが要求され、慣れないとなかなかゴミと稲穂を分別できずに、何度もウンゴの上で稲穂を上下するだけの同じ作業を繰り返す事になってしまう。農民のオバちゃん達は、「ホイッ、ホイッ」と、リズミカルに楽しそうにkupetaをする。
このように収穫され、ゴミを取り除かれたコメは、麻袋等に入れられる。

アフリカの人達は、様々な作業をあえて大勢ですることが多い。例えば、女性が井戸に水汲みに行くのでも、まわりで声を掛け合い、何人かで連れ立って行く。辛い作業やキツイ仕事は、おしゃべりや冗談を言いながらだと、辛さが軽減されることを知っているからだ。それは、農作業でも同じであり、大変な作業も、皆で冗談を言い合い、笑いながら作業をしていると、時間を忘れ、また、作業の早い人がいれば、皆それに負けないように頑張って能率も上がってゆく。


収穫が全て終わったら、ワークショップを開き、今年の発見、反省、改良点を持ちよって、今後の米づくりについて話し合い、約100名の農民達がこれからどうするべきかを話し合い、知識と経験を共有しあう事で今後のより良い米作りに繋げてゆこうと思います。

# by fumika222 | 2006-07-30 21:11
収穫!
ほぼ絶望的”と思われていた今年のコメの収穫は、6月に降った時期外れの雨のお陰で、何とか収穫までこぎつける事が出来ました。

我々の使っているローカル品種は、稲の生育期間を最低でも4から5ヶ月必要とします。12月に種を撒き、1月の雨で発芽したものの、2月の干ばつで多くの苗は枯れてしまいました。イナワラでマルチをし、土壌水分の蒸発を抑え、生き延びたイネはその後の大雨期ですくすく成長し、6月の初めから収穫を開始しました。また、2月の干ばつで枯れた後、蒔き直しをし、各自で小さな土手を作ったり、土のうを積んだりして水を溜める工夫をした田んぼでは、収穫期まで何とか土壌水分を保持し、収穫までこぎつける事ができました。
単収でみると、土地の条件にもよりますが、師匠の目標とする収量にはまだ遠い数値です。
しかし、今年は初年度だったこと、政府から土地の使用許可が播種期前ギリギリでおりて、土地整備が十分に行えなかったこと、2月は干ばつだったことを考慮すると、農業技術的にも、農場整備の面でも改良すべき点は沢山あり、収穫量を上げる可能性はまだまだあります。

初年度の今年は、ダカワ村から100名の村人を我々のプロジェクトの農民として選出してもらい、米づくりを始めました。その100名を、20名ずつ、5つのグループに分かれてもらい、グループ内で協力し、また、技術を分かち合いながら仕事をしましょう、というのが師匠のアイディアでした。

グループNo.1~No.5まで、それぞれ特色のあるイネの栽培をしました。
結果的にNo.2は、年長者が多く、且つ、稲作経験者が多かった為、自主的に土手を作り、水をせき止める工夫をし、一番の収穫を得ました。また、このグループは、年長者と若い農民が共に作業をすることで、稲作技術を移転していました。こうして若い人達も米づくりを体で習得する事はとても良い方法です。その反対に、グループNo.3は若い農民の集まりで、作業をサボっては木陰で昼寝をしたり、おしゃべりに耽ったりしていました。もちろん農場も草だらけ、収穫量も最低でした。しかし、彼らのほとんどは元々米づくりをした事がなく、良く分からなかった、と言います。だけど自然の力は強く、草だらけの田んぼの中にもいくつかの収穫がありました。
彼らの収穫作業を見に行きました。今まで米づくりをした事のなかったダカワの若者達が、嬉しそうに収穫したコメを分け合っているところでした。
「見て見て!こんなに収穫ができたよ」と、皆笑顔です。
「おめでとう、ところで、今年の米づくりを通して感じた事は?」と聞くと、
「やっぱり、農場に水を溜める事が大切だと思った。その為に、明日から毎日土手作りを頑張るよ。そして来年はNo.2のように沢山の収穫を得るんだ!」と、意気込んでいました。
少しでも、収穫が出来た農民の笑顔は輝いていました。

グループNO.4のおばちゃんの収穫を少し手伝いました。
「1月に一生懸命種まきをしたのに、2月の干ばつで全部枯れて死んでしまった。あの時は辛かったけど、負けてはいられない、と思ったのよ。子供だって、産んだ子が死んでしまったらどうする?悲しんでいたって戻ってこない、死んでしまったら、また産むの。負けたらダメよ。3月に播いた種は収穫まで辿り着かないかと思ったけど、いくらかの収穫をもたらしてくれた。希望は捨てないことね。」と、彼女は力強く言いました。

それぞれの農場は、一生懸命作業をしていた農民にはそれなりの収穫が、そうでない農民にはあまり収穫がなく、努力をすれば、自然はちゃんと答えてくれるものだと思いました。
収穫時期は皆が笑顔だ。農民にとって1年で1番嬉しいときなのだ。
この笑顔がアフリカの大地一杯に広がること、それが師匠の夢なのです。

# by fumika222 | 2006-07-28 20:54
近所の食堂
Mtakujaの家の近くに、最近食堂がオープンしました。
食堂と言っても、レンガ造りの掘っ立て小屋に、机とイスを並べただけのシンプルなもの。
床は土のままだから、机やイスは必ずガタガタゆれてしまうのだ。

朝はチャイと焼きたてのチャパティ、昼はごはんかウガリと煮豆、牛肉のトマト煮それと炒めた野菜の定番のローカルアフリカメニューです。
1人前600sh(約60円)。
看板には、“ウイティママの食堂。色んな種類の料理と、軽食を用意しています。また、冷たいソーダと水もあります”と書いている。
そして、この子は看板娘!
こんな村はずれで商売が成立つのかいな、と思っていたけど、よくお客さんが入っている様子。
食事よりも、近所の人達がおしゃべりやくつろぐために集まっているようだけど、それはそれでオッケーなアフリカです。
# by fumika222 | 2006-07-27 20:41
ダカワ村人と野生動物
また農場にゾウが入ってきた。前回とは違う場所から農場に入り、収穫中のイネを食べたり、田んぼを荒らしたりしていった。
ゾウは夜中に農場内に入ってきたそうだ。丁度、収穫の真っ最中で、農場に泊り込みをしている農民が何人かいた。話によると、彼らが寝泊りしている所からほんの数十メートル先の田んぼのコメを食べにきた。農民達はゾウの気配に気づいて、草に火をつけて燃やし、ゾウを追い払おうとした。運良く、その夜は農民達が風上で、ゾウは鼻が良いから人間の気配に気づいて去って行ったそうだ。ゾウは数頭の群れだったという。
農民は言った。「こんなに怖い目に遭うのはたくさんだ。村に鉄砲を持っている人がいる。彼にお願いをして、ゾウを殺してしまえば、もうゾウが入ってくることはない。」

昔からダカワに住んでいる友人に聞いた。彼はダカワ生まれのダカワ育ちなので、ダカワの昔の話をよく知っている。昔からゾウは、ダカワの稲作地帯を荒らしたりしていたのだろうか、と聞くと、ダカワにはいくつかゾウの道があり、毎年、この時期には決まってその道を通り、収穫前のコメを食べていくそうだ。しかし、彼によると、野生動物による被害は、昔よりもずっと少なくなったという。ダカワに現れる野生動物の数が急激に減少したからだ。

1970年代後半から80年代前半、彼が子供の頃は、ダカワは小さな村で、家族ごとの単位で離れて暮らしていた。村には、ワミ川という川が流れ、村人はその水を生活用水に使い、また沢山の動物が水を飲むために集まってきたそうだ。
野生動物は、人間が危害を加えようとしない限り、めったに人は襲わない。かつてそこには、野生動物と人間が調和し、生活する環境があった。たまに村人は動物をしとめ、食糧にもしていたそうだ。
「一番おいしいのは、ガゼル(シカの一種)だった。水牛も沢山いて、その肉もおいしかった」と言う。また、彼のおじいさんはキリン狩りの名人だったそうだ。
「キリンはどうやってしとめるか分かる?」と尋ねられ、
「??想像がつかない。弓とかヤリとかで?」と聞くと、
「俺のおじいさんは、そんなものは使っていなかった。村にムケカ(ゴザ)があるでしょ?あれを帯状に編んで、キリンの通る道に仕掛ける。キリンは視界が遠いから足元をあまり良く見ないで歩くんだ。そこで、そのムケカに足を引っかけて転ぶ。転ぶと大抵、首の骨をおるから、死んでしまうんだ。」
彼は続けた。
「キリンをしとめたら、皆でさばいてね、近所の村人達と分け合って食べた。それでも沢山残ってしまうから、乾燥肉にしてしばらく食べていたよ。」
ビーフジャーキーならぬ、キリンジャーキーか。どんな味がするのだろうか。しかし、キリンをそのようにしとめていたなんて、全く想像がつかなかった。
「ゾウの肉はおいしくないし、しとめるのが難しいから、しとめる人はいなかった。だから今でも、ゾウは近くに住んでいて、たまにコメを食べに来るんじゃないかなあ。」
80年代後半、タンザニア政府は、自国の食糧自給を目的とするために、灌漑設備の整った大規模な国営農場を国内のいくつかの場所に建設した。ダカワもその1つに選ばれ、2,000haの灌漑稲作農場が建設され、その農場の労働者として外から沢山の人達が移住してきたのだ。
「人がたくさん住むようになってからは、もうダカワでキリンや水牛を見ることはなくなってしまった。」
と、彼はいった。

また、最近の新聞によると、タンザニアの北部のArushaでも、今年、栽培しているトウモロコシをゾウに食べられるという被害が相次いだ。被害面積はおよそ300haにも上り、そのうえここは食糧不足が深刻な地域であり、政府からの無料のトウモロコシの種が配られ、栽培されていたのだ。今年もここは食糧不足に見舞われるだろう、という記事だった。

アフリカゾウ等多くの野生動物は、絶滅危険種、つまり絶滅の恐れのある種となっているそうだ。世界の片方では、そういった野生動物を守ろう、という動きがある。しかし、もう片方では、そのゾウを害獣とし、その被害に頭を悩まされている人達もいるのだ。野生動物の被害に遭いながらも、貧しい生活から抜け出す為に、明日の食糧の為に、野生動物の恐怖に怯えながら毎晩農場に寝泊りし、生活を守るために必死に生きている。

タンザニア国家の近代化、いわゆる“発展”により、ダカワ村では昔からの野生動物と人間のバランスのとれた生活は過去のものとなった。人口の増加により家畜が増え、料理用のまきを取るために、ゾウやキリンのえさとなる木々を伐採する。限られた環境の中で、人間の生存活動が、野生動物の住む環境を狭めているのも事実だ。
結局、人間も動物も生きていゆくのに必死なのだ。

崩れてしまった生態系のバランスを元に戻すのは、もう、無理だろう。
しかし、その中で私たちは人間として、適切な処方箋を考えなくてはならない。
# by fumika222 | 2006-07-21 20:34
シャンバの夜
アフリカでは普通、農民は収穫中のコメを動物に食べられたり、ドロボウに盗まれたりするのを防ぐため、収穫期になるとシャンバ(農場)に寝泊りする。
我々の農場でも、今年、イネがとても良くできたグループがあった。彼らは6月の初めから収穫をはじめ、グループ総勢16人で、終わるまで2週間かかった。その間、収穫物を見守るために、メンバーが交代で、夜、農場に泊り込みで見張りをすることになった。
せっかくの機会なので、私も夜警に協力することにした。

日が出ている間は、稲刈りや収穫後のイネのゴミ取り作業をする。今日は農民7人が泊まるそうだ。基本的に夜警は男性が行うが、おばあさんも一緒に泊まるという。彼女はなんと今日で7連泊目だそうだ。やっぱり年寄りは強い。彼らは農場内の大きな木下にベースを作った。彼らの田んぼの端から端まで見渡せる、いい場所だ。そこで皆で食事を作り、皆で横になって寝る。

夕方に作業を終えて、農民がボチボチキャンプに戻ってきた。
「日が暮れる前に水浴びをしに行こう」と、若い農民が誘ってくれた。
農場内では、明るい間にできることは全て済ませておかなくてはならない。石けんとバケツを持って井戸まで行く。井戸で水を汲み、森の中に入って水浴びをする。何の囲いもない。暮れゆく夕日を見ながら、一日の農作業の疲れを洗い流す。とても気持ちの良い水浴びだ。

近頃は、日は6時半頃に暮れてしまうため、井戸の水を汲み、皆と一緒にキャンプに戻った。すると、ベッドが出来上がっていた。
「Mgeni(客人)のためのベッドだよ」
農民のおじさんがワラを集めて、ベッドを作ってくれた。その上にムケカ(ゴザ)をひき、蚊帳を吊ったらジャングルのベッドはできあがりだ。

日が沈むと同時に、焚き木に火をおこす。料理にも使うし、動物は火を恐れるので、動物避けにもなるのだ。農民たちはそれぞれ自分の好きなことをしている。疲れて横になっている農民もいれば、「祈りの時間だ」と言って、アッラーに向かってコーランを読み始める農民、ストレッチを始める農民もいる。
ぼちぼち夕食の準備だ。今日は、あるおじさんが腕をふるってくれるそうだ。アフリカの男性は、比較的皆、基本的に料理ができる。男の子でも、子供の頃から料理ができるようにと、少しずつ教えられているそうだ。
野菜を切りながらおじさんと話をした。彼は、昔電力公社の寮でコックとして2年間働いていたことがあるそうだ。「だから、一通りの料理はできるよ。家に帰れば奥さん任せだけどね。」と笑った。小まめに味をチェックしながら、野菜のトマト煮とウガリを作ってくれた。それを星空の下、焚き木の火を頼りに皆で食べた。丁寧な味がした。

食事が終わると、疲れた人達は次々と横になった。焚き木は燃え上がり、起きている人達は火を囲みおしゃべりを始める。“アフリカのおしゃべり”は、物語的なものが多い。ひとりが物語をはじめ、他はそれに相槌を入れながら聞き入るのだ。物語の語り手は大体男性で、家族だったらお父さんやお祖父ちゃんの昔話や若い頃の自慢話が多い。それに家族全員が耳を傾けるのだ。今でも、電気もなく、ラジオの電波も届かないアフリカの田舎では、夜をこのように楽しんでいるのだ。
今夜は若い農民の男の子が語り手だ。
彼は数年前、ダカワに大雨が降った年に、村から離れたお父さんのシャンバの手伝いをするために、1ヶ月間ずっと農場に1人で暮らした話をした。その年は大雨で、彼のお父さんの田んぼには腰くらいまでの水位だった。初め、1週間分の食糧を持って泊まった。そのうち雨が降り続き、土地が全て水で覆われてしまうと、彼は木の上で生活を始めた。すると、土の中に住んでいたヘビ達も沢山木に登ってきた。そのヘビを次々とやっつけ、結局何十匹ものヘビを殺した。次第に食糧も尽き、持ってきてくれるはずのお兄ちゃんも来なかったため、川の氾濫水と共に田んぼに流れこんできた魚を素手で捕まえて焼いて毎日食べた。しまいには塩もマッチも無くなったので、仕方なく村に戻ったんだ。あの時は魚が沢山食べられて幸せだったけど、そのうち魚も飽きて、見るのも嫌になったなあ。と、自慢気に話した。話を聞いていた農民達はヘビとの戦いなど、本気で恐れている。
アフリカ人は本当に物語が上手だ。こういう話に臨場感を醸し出しながら面白おかしく語り、皆を話に巻き込む。最後に彼は「もう僕は、どこでも生きていけるんだ」、と誇らしげに言った。

一体何時になったのだろうか、欠け始めた月が昇ってきた。おしゃべりはそこそこにし、イナワラベッドに入り、持参した毛布をかけた。横になって目を開いた。驚いた。見上げると、今までに見たことのない数の星が降り注いできた。漆黒の星空のキャンバスに幾千もの銀色の星が瞬き、その真ん中を天の川が悠然とたなびく。新しく星が輝き始め、また、流れてゆく。一晩に起こる、いくつもの星の誕生と死にしばらく見とれていた。“はかない”、とはこういう事なのだろうか。
きっと、星から地球をみたら、人間や、人間の創造物の発生や滅亡もこんな感じなのだろうか。NYのビルが壊されたり、中東のテロで爆発が起こって沢山の人が亡くなったりした事も、大きな星が輝きながら流れてゆくような感じなのかなあ、と思った。

どうやら皆、眠りについたようだ。夜中火は燃え上がり、焚き木の燃えるパチパチという音と、風と、虫の声だけが広いジャングルの中の農場に響いた。何度も目を開けて星を見たり、色んな音に耳を傾けたりするうちにいつの間にか眠りについていた。

朝日と共に目が覚めた。夜はゾウもドロボウも来なかったようだ。起き上がると、私が最後で、他の農民達は暗いうちに目を覚まし、既に稲刈りを始めていたのだ。
朝のチャイを沸かすための水を汲みに、井戸に向かって歩きながら考えた。
毎日こんなに見事な自然の中で暮らし、夜には楽しい話をしながら皆で食事をし、降り注ぐ星空を仰ぎながら眠りに着く。お金やモノが無いけれども、寂しいと感じたことは一度も無いし、毎日が楽しくて仕方ない。そんな生活で良いんじゃないか、本当に人間が生きていくために必要なものとは結局何なのだろう。

朝日に照らされた農場は、いつもとどこか違うような錯覚に陥ってしまった。


# by fumika222 | 2006-07-10 17:23


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