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村人と死
「アフリカではよく人が死ぬんだよ」
と、アフリカに来る前によく聞いた。
日本で生活していると“人が亡くなる”という事はかなり特別な事だが、アフリカの村では日常的に人が亡くなる。

ダカワ村は小さな村だ。皆顔見知りで、親戚同士のようなものだ。多くの村人は、村人同士で結婚するため、「あの人の嫁は誰々の娘で、彼の義理の妹」というように、親類関係がとても発達している。

先週は村で4つのお葬式があった。朝から農場で作業をしていると、農民メンバーの誰かの親や兄弟が亡くなると、村から使者が自転車で来、「さっき○×が亡くなった」と報告する。家族が多いため、それだけ親族が亡くなる機会も多くなる。アフリカは“相互扶助”の文化だといわれる。困った時に助け合う文化だ。だから、誰かの死亡報告があると、作業はその場で中断され、皆で村へ戻り葬式の準備をするのだ。アフリカの村ではまだ冠婚葬祭を重んじる風潮が残っている。村だけでなく、政府レベルでもそうだ。隊員だった時は政府の管轄下で活動をしていた。会議に呼ばれて行くと、“今日は誰々の親が亡くなって皆で葬式に行く。会議は中止”、なんてのは1度や2度じゃなかった。タンザニアでは建国の父と言われる故ニェレレ大統領がなくなった時は国民は1ヶ月喪に服し、その間政府関係の仕事は何も動かなかったそうだし、去年の大統領選の直前に政府の用人が急死したため、選挙は1カ月延期になった。それは、その人の死の悲しみを国民の皆で分かち合いましょう、という意味なのだ。

今回亡くなった人は、親しい農民のおじさんの親だった。私も葬式に出席させてもらう事にした。村人のほとんどがイスラム教徒であるため、イスラム式の葬儀が進められる。死んだ人の体がまだ温かいうちに土に埋める、それがイスラムのやり方だそうだ。人が亡くなれば、葬儀はその日に出されることなる。
葬式に向かう途中にも沢山の知り合いに会った。皆も葬式に行くところだった。葬式には村中の人が参列する。村人たちは高い香典を出すわけでもないが、100シルや200シルのカンパをし、墓を掘ったり、食事の準備をしたりと出来るかぎりの手助けをする。
葬式に着くと、男性と女性は別々の場所へ座らされる。男性は丸いイスラム帽を被り、女性はカンガ(腰巻布)を腰に巻き、もう1枚で頭をすっぽり覆う。それが葬式の正装だ。
女性陣に紛れ、私も外に敷かれたゴザに腰を下ろした。何人かの女性達が集まり、歌を歌っている。“私達を置いて逝かないでくれ、ひとりで逝ってしまわないでくれ”、という内容の歌だそうだ。イスラムのレクイエムだ。
死体は土葬される。墓を掘っていた男性達が戻ってきた。すると、イスラムの司教さんがアラビア語で訓示を述べる。人々はそれをしばらく黙って聞く。いよいよ出棺だ。板だけで作られた粗末な棺おけを身内の男性が中心に運んで埋めるのだ。すると、突然棺おけにすがりつき、大きな声で泣き出す女性がいる。「お父さん、お父さん、逝かないで!!」と泣きわめく。つられて他の女性達も泣き崩れる。アフリカ人は感情を心の中にしまっておかない。悲しい時は、周りなど気にせずに泣きわめく。別の人が彼女らをなだめる。親族の悲しみを分かち合い、私達が付いているから、と元気づける。

お棺は埋められると、男性達は戻ってくる。最後に親類達が用意した“ウジ”と呼ばれるトウモロコシ粉のおかゆを皆で飲んで、葬式は終わる。
村では、1日に幾つか葬式がある時は、村中の店が閉められ、皆、喪に服す。葬式や結婚式などの冠婚葬祭は家族が中心になって手作りの精一杯の式を出す。近所の人達も協力する。そこには心の通じ合う人間関係ができあがる。

その週はそんな葬式が4回あった。そして、驚くことに昨日は1日で4人の葬式があった。人口が4000人の小さな村で1日に4人も亡くなったのだ。それ程、村では人の死が日常的で、直に隣合わせのものなのだ。
マラウイでの2年間にも沢山の知り合いが亡くなった。任期が終り、一年後に里戻りをすると、家のウオッチマンをしてくれていた人と、一番親しかった農民のおじさんが亡くなっていた。隊員当時、ウオッチマンとは毎日顔を合わせ、色々な世間話をした。亡くなった農民のおじさんは、とても農業に熱心な人で、いつも一緒に農作業をして多くの時間を過ごした。私の活動の最後の日、10数キロ離れた村から歩いて別れを言いに来てくれた。「必ずまた来るから」、と握手をしたおじさんの手の皮の厚さと暖かい感触は掌に残っているのに。
残された家族に会いに行き、奥さんに亡くなった理由を尋ねると、
「半年前から体調が悪くなり、何も食べられなくなった。そのうちやせ細って死んでしまった。病院に連れて行く金もなかった。一体何が原因かも分からずに、この家で死んでいったよ」と彼女は言った。彼にはまだ小さい沢山の子供がいる。子供達は一体どんな気持ちで父親の息をひきとる姿を見つめていたのだろうかと考えると、涙が出た。奥さんは体が弱く、農作業はできない。おじさんがひとりで家族を支えていたのだ。これから子供達はどうやって生きていくのだろう。

アフリカの静かな村で自然と共に暮らす人達。その毎日の中で亡くなる人達を見ながらきっと日本だったら治っただろうに、と何度思った事だろうか。彼らは人の“死”は受け入れざるおえないものとし、自然の摂理に逆らうことなく生きている。

by fumika222 | 2006-09-16 08:11


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